稲村堂作業日誌

科学雑誌を読む日々。

フィクションを読む

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●『女のいない男たち』 村上春樹文藝春秋2014)を読む。「ドライブ・マイ・カー」と「イエスタデイ」が特に気に入る。後者は短篇「螢」を思い起こさせる(でも誰も死なないところがいい)。「木野」の前半は、「トニー滝谷」(の前半)を思い出させてくれる。長編に発展しそうな気もする。
 著者に感謝。

科学書を読む

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●科学書を読む
毎朝、『生命とは何か―複雑系生命科学へ』 金子邦彦(東京大学出版会2009)の一節を読むことを続けている。この本のジャケットの絵は、伊藤若冲の《樹花鳥獣図屏風》(いま調べた)。

 すみずみまで理解できる本ではないけれども、パラパラとめくって偶然手がとまったページをゆるゆると読むと、グッとくるフレーズに出あうことが多い。ふつうに科学雑誌を読む前の、よい頭の体操になる気がする。今朝、印象に残ったのは以下の箇所:
また,シャピロは大腸菌の高密度のコロニーが増殖していく際に,活発に進んでいって,新しい環境を探していく菌とあまり動かずにコロニーの内側にとどまっている菌に分かれているのをみいだしている〉(p.101)

 たしか、アリにも似たような話があったことを思い出す。働きアリの7割は休んでおり、1割はまったく働かない、とかなんとか。『働かないアリに意義がある』 長谷川英祐(メディアファクトリー新書2010)という本にくわしく書かれているのだろうか。読んでみよう。

『意識をめぐる冒険』のための地図 [010]

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●『意識をめぐる冒険』のための地図 [010]
『意識をめぐる冒険』 クリストフ・コッホ(岩波書店2014)の第5章には、以下のような文章が出てきます:
デカルトは、主観的な経験は分割できないという事実を裏づける、ただ一つしかない器官を探した。そして、松果体と呼ばれる脳内構造は、脳のなかにたった一つだけしかなく、左右に分かれていないことから、この器官が魂(精神)の座である(今日の用語で言えば「NCCである」)という仮説を立てた。〉(p.134) で、すぐ後に、〈この仮説は、後に誤りだと判明したという話は有名だ。〉と続きます。

 ならば、松果体という脳内器官は実際のところ何をやっている器官なのか? ということが、ふと気になります。
 そこでまず、『カンデル神経科学』(メディカルサイエンスインターナショナル2014)を書棚から引っ張り出してくる。1696ページの大著。索引で「松果体」を引くと、哺乳類神経ペプチドのなかに「松果体ホルモン」というカテゴリーがあり、代表的なホルモンとして「メラトニン」が挙げられている。松果体に関する記述は、この本ではほかには見当たらない。この器官は現在、地味な存在となっているようです。

 まあそれでも、脳内のさまざまな器官が左右の半球に対をなして存在することを考えると、松果体が一つしかないという事実にはそそられる。もとは二つあったのに進化の過程で融合した可能性はあったりするのだろうか、とか。

『意識をめぐる冒険』のための地図 [009]

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●『意識をめぐる冒険』のための地図 [009]
『意識をめぐる冒険』(岩波書店2014)の第2章には、以下のような文章が出てきます:
電気的活動は、ニューロン樹状突起や細胞体の表面に集まっている「イオンチャネル」という、これまた精密な装置を使って、「全か無か」のデジタルな電気パルスへと変換される。
 「イオンチャネル」という言葉に注目してみます。イオンチャネルとは、平たく言うと「イオンを通す穴」のようなものと考えるとよいと思います。イオンの例としては、カリウムイオン(K+)、ナトリウムイオン(Na+)、カルシウムイオン(Ca2+)や塩化物イオン(クロライド・イオンとも、Cl-)などがあります。こうしたイオンの通り道が「イオンチャネル」で、細胞(ニューロンに限らない)の表面に、膜を貫通するように埋め込まれている、という構図です。ひとむかし前は「イオンチャンネル」というような表記も見かけたように記憶してますが、最近は「イオンチャネル」と書くのがメジャーなようです。ちなみに、イオンチャネルを作っているのは(=イオンチャネルの部品は)タンパク質です。